きっかけは、オランジュリー美術館で開催していた「モネ 連作・睡蓮展」でした。これは世界中に散らばっているモネの「睡蓮」を一堂に集めた特別展。

 見事なまでの睡蓮の数々。加えてモネの映像や肉声、ルノワールに宛てた手紙などを見ているうちに、本物を見てみたいという衝動に駆られた僕は、翌日、予定をすべて返上してサン・ラザール駅でモネの家のあるジヴェルニーに行くべく列車を待っていました。

 駅構内の様子は、モネが1877年に描いた「サン・ラザール駅」の雄々しく煙を出す蒸気機関車から電気機関車に取って代わりましたが、モネ自身もパリから自宅のあるジヴェルニーに帰るのに使った駅ということは変わっていません。


 ジヴェルニーに着くまでの間、モネについてちょっと触れましょう。

 クロード・モネ(Claude Monet:1840〜1926)はパリに生まれ、ノルマンディーの港町ル・アーブルで幼少期を過ごしました。16歳の頃、情景画の画家ブーダンに見出され、外光の下で自然を描く事を勧められたのがモネのその後の作風を決めることとなります。

 19歳で画家になる決意とともにパリに移住。マネ、ルノワール。シスレー等と親交を結んでいきます。
 当初は身近な風景や中流社会の情景を描いて官展(サロン)でも入選しますが、対象から受けたみずみずしい印象をその場で直接描く事に関心が移ったモネは、伝統的なサロン系画家としての作風を自ら閉ざして1872年にアルジャントゥイユ村に移り住みます。

 1874年に仲間とともに第1回の「印象派展」を開きます。この展覧会にモネが出展したのが「印象・日の出」。1872年に幼少期を過ごしたル・アーブルの港を描いたもので、サロンでの落選作した。この絵は当初タイトルは「日の出」だけでしたが、これでは物足りないという記者の質問に対し「Impression=印象」と答え、これが「印象派」という名の由来になりました。

 1878年にヴェトゥイユ村に移住したモネはここで最愛のカミーユ夫人を亡くしてしまいます。そして1883年、モネ43歳の時に子供等と新しいアリス夫人とともに移ったのが、これから向かうジヴェルニー村。


 サン・ラザール駅から約40分。列車はジヴェルニーへの玄関口、ヴェルノン(Vernon)に着きました。列車はここまで。次は駅前から出ているバスでモネの家に向かいます。帰りのバスの時間もここで聞いておくことをお忘れなく。

 揺られるバスの車窓からは人家もまばらなのどかな田園風景。モネの家ではどんな光景が繰り広げられるのか? 期待で胸が高鳴ります。