家に入って2階へ。開け放たれた窓からは、同じ庭のはずなのにまた違った光景にも思えるような気がします。窓際にしばし佇んでみてください。渡る風と緑のにおいの心地よさといったらこの上ない!

 1階の食堂は食器まで黄色に統一された美しい部屋。うって変わって隣りのキッチンは壁のタイルまで水色に統一された清楚な部屋。料理研究の本も残したモネだけあって、食事のための環境作りも傑作です。


 そう言えば家の中の部屋にはたくさんの日本画(浮世絵)があります。ゴッホもデッサンに残したり、ロートレックは着物を羽織って友人ナダールの写真館で撮影をしているほど当時の画家たちの間では日本趣味が流行っていました。

 流行の始まりは1862年の竹内下野守をはじめとする幕府遣欧使節団のパリ訪問。ほぼ同じくしてリヴォリ通りには日本美術を扱う店が開かれたり、1867年のパリ万国博覧会では日本館も設置されて本格的な日仏文化交流が開始されました。

 ゴンクール兄弟の日本旅行記が発行されたり、万博に同行した芸者達が版画でパリ中に紹介されたり日本熱は盛り上がる真っ只中。遠い海の彼方の未知の国・日本の美術に1860年代新進気鋭の印象派の画家たちは熱い期待を寄せたに違いありません。


 さて、庭園と家を堪能した後はいよいよ「連作・睡蓮」のモチーフとなった池へ。地下道くぐって道路を越えると、そこには庭で見た世界とはまた違った雰囲気に包まれていました。