サン・ルイ島散策
(所要時間:約1時間)


Rue St Louis en L'ile
(島のサン・ルイ通り)マップ


サン・ルイ島の歴史









 元々は、サン・ルイ島はシャルル・ル・ショーヴ王よりパリ大司教に与えられた5.5ヘクタールの不毛の島で、「ノートル・ダム島」と呼ばれていました。

 それから、14世紀後半にシャルル5世によって築かれた砦と、深く掘られた堀によってサン・ルイ島は東西に二分されました。今日ではその堀の場所はプールティエ通りとなっています。
 東側は「ヴァッシュ島(牛島)」と呼ばれ人は住まず、西側は以前と同じく「ノートル・ダム島」と呼ばれました。サン・ポール港(サン・ポールは現在はパリ市庁舎(Hotel de Ville)がある、対岸の地区の名前)とだけではなく、洗濯場や釣り場、牛を飼う牧場としても使われました。14世紀から16世紀までこの島はパリ大聖堂の領地でした。
 17世紀になって時の王、ルイ13世はこの島の土地権利を、プールティエ氏とル・ルグラティエ氏の経済支援とともにクリストフ・マリー氏という建築家に譲ることとなりました。1614年4月19日にルイ13世によって取り決められたこの合意は、ヴァッシュ島とノートル・ダム島を一つにすること、橋・道・堤防とテニス競技場の建設などが盛り込まれていました。

 しかし1643年、3氏がいくつかの条項において不同意を表明したことと膨大な借金の為に、50人の有力地主で結成されたグループにサン・ルイ島開発の主導権は取って代わられ、建築家のル・ヴォー氏の監督の下、開発の速度は以前にも増して促進されました。
 庇護者の聖フランス王に敬意を表して「サン・ルイ」と名付けられた教会が建ったのは、まさにこの時代です。(右の地図は1652年当時のサン・ルイ島)

 この島に人口増加が始まりました。塀で囲まれた壮大な大邸宅は、隣りのシテ島に裁判所があったので、とりわけ裁判官たちの憧れの的でしたが、島内はせいぜい中流階級か職人たちの居住地だったのです。
 そして1726年、この島は現在の「サン・ルイ島:Ile St Louis」という名になりました。
 18世紀にサン・ルイ島は上流階級の居住地域へと大きな飛躍をしましたが、19世紀にはドゥー・ポン通り(Rue des Deux Ponts)の拡張やシュリー橋(Pont Sully)の建設、ジャン・ドュ・ブレー通りの開通などによって島の外観は変貌しました。

 第二次大戦後も大勢の画家・俳優などの芸術家や政治家が頻繁にこの島に出入りしていることが、今なおサン・ルイ島が他の地区と雰囲気が違うことを示しています。
 ("Histoire de L'ile St Louis"より訳)