オテル・デ・ザンヴァリッド、日本語で言うなら廃兵院の目の前まで来ました。この傷病兵病院を建てたのは太陽王ルイ14世。17世紀のことなんですが、実はフランスにはこの時代まで傷病兵専用の病院がなかったというから逆に驚いてしまいます。

 今アンヴァリッドには軍事博物館と模型地図博物館があります。どちらの博物館もちょっとマニアックですね。1次・2次大戦のヨーロッパ戦線の変遷はかなり詳しく展示されています。

 それよりもここはナポレオンの柩があることで有名です。1815年にセント=ヘレナ島に流されたナポレオンは21年に没し、40年の国葬の後に「国民に囲まれ、セーヌのほとりで永眠したい」という彼の望み通り、ここに収められました。柩の周りには彼の戦勝地や忠臣の名前が記されています。ここでちょっと豆知識を。

 ナポレオンの有名な戦いの一つにに1805年のオーステルリッツ会戦というのがあります。ナポレオン率いるフランスと、オーストリア・ロシア連合軍がウィーン北方のオーステルリッツで戦ったのです。三国の皇帝が交えた戦いなので三帝会戦とも言われます。結果はナポレオンの大勝利に終わりました。

 フランスではこの戦勝地を公共施設の名にして今に残しています。ボルドーやスペイン方面の列車が発着するオーステルリッツ駅がそうです。それにしても何でウィーン方面行き列車の発着する駅名にしなかったんでしょう? 昔はそうだったのかも知れないですが。(今オーストリア方面列車の発着は東駅です)

 これと同じ理由で命名された駅がロンドンにあります。ウォータールー(Waterloo)駅なんですが、これをフランス語読みするとワーテルローで、この戦いはイギリスのウェリントン将軍がナポレオンを破った戦いとして名高いもの。皮肉にもこちらはフランス行きのユーロスターの発着する駅なんですよ。豆知識でした。





82番バスでパリ観光 路線図
(所要時間:約1時間30分)