リュクサンブールを出てから20分位で、とうとうエッフェル塔までやってきました。昼間に見るとこげ茶色の鉄骨なんですが、夜の帳がおりて来るとライトアップで一変、幻想的なパリの灯になります。

 318.7mあるこの塔はパリのあちこちから見ることができます。建物の陰からひょこっと頭を出しているだけでも、つい目を奪われてしまうことも。映画「French Kiss」でメグ・ライアン扮するケイトが列車からエッフェル塔を見つけた時に見惚れるシーンを思い出します。

 それではお得意の歴史講釈を一つ。
 この塔は1889年のパリ万国博覧会にフランス革命100周年を記念したモニュメントとして建設されました。設計者はその名にもなっているギュスターヴ=エッフェル。彼は5年の設計の後、1887年に建設に着手。2年2ヶ月と5日の末、1889年にその雄姿を世界にお披露目したのです。

 上の写真は建設中のエッフェル塔。丁度道半ばの1888年当時の様子です。決して上半分を隠しているわけではありませんよ。

 さて博覧会でのエッフェル塔ですが、「パリの景観を損ねる」と芸術家を中心に反対派が多く、実は建設工事も一時中断したほど。最初は20年後にとり壊すという取り決めもあったのですが、その後の通信技術の発達と共に様々な役割を担うことになって、寸でのところで存続が決まったのです。塔のてっぺんにある大きなアンテナがその救世主!

 1910年に時報の無線配信を皮切りに、16年に大西洋方面の無線電話ターミナル、18年にラジオ電波中継地、57年にはテレビ電波中継地と目覚しい活躍を果たしたのです。

 そんなフランス国内の評判とは別に各国に与えたインパクトは強くて、その後少しでも高くと世界で建築競争が始まった様にもうかがえます。1930年まで世界で一番高い建築物でしたが、この記録を破ったのはニューヨークのクライスラービルでした。

 1927年に大西洋無着陸横断をしたリンドバーグの言葉に「翼よ、あれがパリの灯だ」というのがありますね。360個余りのライトによって照らし出されるエッフェル塔も彼の目に飛び込んできたことでしょう。パリでは10万人の市民が彼を出迎え、偉業をたたえました。

 余談ですが、フランスの文豪モーパッサンの「エッフェル塔嫌い」の面白い話があります。
 塔には「ジュール・ヴェルヌ」という、「80日間世界一周」の作者の名前にちなんだ高級レストランがあって、モーパッサンはよくここに来たそうです。その理由は「最悪なエッフェル塔を見なくて済む唯一の場所だから」とのこと。

 文豪らしい冗談でしょうが、フランス人の友人もルーブル中庭のピラミッドと共にあまり好きではないと言っていました。

 さて、そろそろ次へ進みましょう。82番バスは塔の前のイエナ橋でセーヌを渡って、トロカデロへ向かいます。





82番バスでパリ観光 路線図
(所要時間:約1時間30分)