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キュジャス通りが次に交差するのはサン・ジャック通り(Rue St Jacques)です。左を向くと下り坂になっていて、シテ島のノートル・ダム広場まで一直線。右を向くと少し道幅を狭くして続いています。
この道はパリができた紀元前から交通路として活躍してきました。当時ここパリはリュテス(リュテチア)と呼ばれるローマ帝国の植民市で、地図でこの道を南に辿って市の境まで行くと、Porte d'Orleans(オルレアン門)というメトロの駅が見つかると思うんですが、この道は当時の主要都市オルレアンまで、果ては帝国の首都ローマまで続いていました。
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ちょっと横道にそれましたが、このサン・ジャック通りとキュジャス通りに面しているのがパリで屈指の名門進学校のルイ大王高校(Lysee Louis Le Grand)です。
ここの生徒をはじめ、近隣に建ち並ぶパリ大学(第4大学の通称がソルボンヌ大学)やグラン・ゼコール(Grands Ecoles エリート専門校)に通う学生達は将来のフランスの各方面を担う候補生。キュジャス通りには彼ら才女秀才君の議論の声が響いています。
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