アベッス小路の階段を登りきるとトロワ・フレール通り(Rue des Trois Freres)です。「3兄弟通り」という名のこの通りのプレートの下に3体のインベーダーがいました。このインベーダーはパリのあちこちに潜んでいるようです。散歩の折に探してみてはどうですか?

 アベッス小路からトロワ・フレール通りを左折して、すぐ右の木々がこんもりと覆う広場がエミール・グードー広場(Place Emile-Goudeau)です。広場手前の扇型の階段に立って後ろを振り返ると、建物の間からアンヴァリッドの金色のドーム屋根が彼方に望めますよ。


 この広場の一角、11番地bisに「バトー・ラヴォワール(Le Bateau Lavoir:洗濯船)」という建物があります。もともとは「トラプールの家」と呼ばれたピアノ工房だったところを1889年より画家たちのアトリエとして提供され始め、マックス・ジャコブによって「バトー・ラヴォワール」と命名されました。

 住人にはピカソ、シャガールなど後の絵画の巨匠がいて、詩人アポリネールもしばしば訪れたり、次第にモンマルトルが芸術家の集う場所となっていくのです。ショーウィンドーにはピカソらがここで描いた絵のコピーがあってなかなか興味深い。

 しかし廊下や階段が迷路のように入り組んだこの建物は1970年5月12日に火災で焼失してしまい、現在のは再建されたものです。


 ここは1900年に19歳でこのモンマルトルにやってきたピカソが1904年からアトリエとして住んだところで、彼の絵画の「青の時代」「ばら色の時代」「キュビズムの時代」を形成したところです。「アヴィニヨンの娘達(Demoiselles d'Avingon)は1907年にここで制作されました。

 ここでは恋人フェルナンド・オリビエと同棲していたこともあったり、ピカソにとって人生の中でもとても印象深いものとなっているようで「このバトー・ラヴォワールのほかに本当に幸せを感じることのできるところはない…」と亡くなるまでモンマルトルに対するノスタルジーを抱いていたそうです。






モンマルトルの丘散策ポイント
(所要時間:約2時間30分)