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モンマルトルの丘の頂きにそびえるサクレ・クール寺院にようやく着きました。寺院の白と空の青は本当に良くマッチします。その形から親しみを込めて「Patisserie(お菓子)」と呼ぶこともあるんですよ。このビザンティン様式の寺院は1871年に起こったパリ・コミューンの犠牲者を祀るために建てられました。
パリ・コミューンとは民衆の蜂起によって樹立されたパリの自治政府のことです。1870年にフランスはプロイセンと戦争に突入しパリを包囲されるという大打撃を負います。降伏を進める国防政府に対してパリ民衆は徹底抗戦を主張しました。
国防政府にかわったティエール内閣がプロイセンと講和してパリの武装解除を図ると、包囲で苦渋を味わったパリ民衆は蜂起しティエール内閣はヴェルサイユに脱出します。そこで民衆は自分達で政府を立ててパリを支配するに至るのです。
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パリ・コミューンは政府軍に鎮圧されて1871年3月から5月までのわずか2ヶ月しか存在しませんでした。1日に2万人ものコミューン側兵士が殺され、20区のペール・ラシェーズ墓地での戦闘が最後となったのです。
モンマルトルはパリ・コミューン推進の中心的な場所だったので、この地に寺院を建てる事はコミューン思想を煽ってしまうのでは?といったんは下院で退けられます。しかし再度審理にかけられ、「コミューンに対する償いの大いなる行動」として建立に踏み切ったのです。
ちなみに設計・建築指揮は公募が行われて選ばれたのはポール・アバディーという建築家でしたが、特に見所もない、その時代ではワーストクラスにはいる人だったそうです。
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