これからテルトル広場へ向かうのですが、お土産屋さんなどを見ながらならそのままノルヴァン通りを行くのがいいでしょう。ここではユトリロの絵に登場する風景を求めて、ル・コンスラでV字に分かれるサン・リュスティック通り(Rue Saint Rustique)を進みます。

 1本隔てるだけでこれほどまでに静かな雰囲気に包まれているとは驚きです。角のレストラン「A La Bonne Franquette」の看板がなんとも可愛いです。このレストランはルノワールやゴッホが常連だったとのこと。ここにも古きパリの匂いが残っていますね。

 サン・リュスティック通りからのサクレ・クールを眺める構図はユトリロはもとよりパリに渡った日本の佐伯祐三画伯も描きました。ごつごつした石畳の道は歩くにはちょっと疲れてしまいますが、この通りはモンマルトルで最も古い道のひとつなんです。


 ところでユトリロ(Maurice Utrillo:1883〜1955)ですが彼の生い立ちを少し。ユトリロの母のマリー・クレマンティーヌ・ヴァラドン(シュザンヌ・ヴァラドン)は私生児として生まれ幼少の頃に母とともにモンマルトルにやってきました。

 数々の仕事を経験したヴァラドンは絵のモデルの仕事を通じてモンマルトルを中心に活躍していた画家たちと親交を深めていきます。シャヴァンヌの「聖なる森」、ルノワールの「都会のダンス」(他数点)などがヴァラドンがモデルを勤めたもの。

 その親交は情事へと発展する事も多く、ユトリロも母同様に私生児として生まれました。父親候補はシャヴァンヌ、ルノワール、ドガ、ロートレックときりがなく、真相もわかっていません。なにしろヴァラドン本人も「本当のところは私もわからない」と言ってぐらいですから。


 法律上の父がスペインの美術記者ミゲール・ユトリロ(この人もヴァラドンの愛人)なので「ユトリロ」の名前ですが一度も会ったことはないそうです。ユトリロは小学校こそ優秀な成績で卒業しますが、子供の頃からアルコール中毒でコレージュ・ロラン中退。医師の進めで独学で絵をたしなむようになります。

 初期の「モンマニー時代」の作品は暗い色調のパリの風景が多いのもうなずけます。次なる「白の時代」は街路や建物を微妙な白で描く彼の最も評価の高い時期で「コタン小路」「サン・ニコラ・ドゥ・シャルドネ教会」などが代表作です。

 円熟を迎えた「カラーの時代」は明るい色彩の華やかな作品になり、「ノルヴァン通り」「パリのノートル・ダム」が代表作です。不思議な事に父親候補のルノワールと同じ「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」も描いているのです。

 1921年の個展の開催以来、たくさんの作品が人々の目に触れるようになり、1928年にはレジオン・ド・ヌール勲章が与えられました。現在ユトリロの作品の多くはパリ郊外のサンノワのユトリロ美術館にあります。






モンマルトルの丘散策ポイント
(所要時間:約2時間30分)